2010-01-01から1年間の記事一覧
若杉窯(現小松市若杉町)の製品の中に 時々、吉田屋に似た青手作品を見受けます。 これが“吉田屋の先駆”なのか“後追い”なのか、 見解は分かれています。 これはけっこう重要な問題で、“先駆”だとしたら 幕末青手九谷は若杉窯から始まったということになりま…
蓮代寺窯 色絵石畳文古九谷写平鉢 (九谷名品図録 平成12年 石川県立美術館 p83) 「これがこの窯の代表作」と言うのでは、 少しかわいそうだな、と思います。 しかし実際のところ、多くの九谷焼紹介で 蓮代寺窯の作例として出されるのは、この平鉢なのです。 …
今回は、幕末青手の裏文様のうち、 典型的と思われるものをいくつかご紹介します。 「渦雲文」 これは松山窯などの復古的な部分(古九谷への先祖返り)を 象徴する文様だと思います。青手古九谷でよく見ますが、 吉田屋では初期のものに散見される程度です。…
発掘調査などの学術的な裏付けがあるという意味で、 数少ない“松山窯の特徴”の一つに、高台の形があります。 松山窯展でも紹介されていた「ベタ高台」です。 同展での表現を借りれば「断面が台形状」であり、 「カンナで削りだして高台づくりをしたもの」で…
画像の波千鳥文の酒盃は、九谷焼美術館の松山窯展で、 同手が出品されていました。 しかし数年前には別の施設で、 「九谷本窯製」として陳列されていたことがあります。 松山窯製と九谷本窯製を厳密に仕分ける基準は、 自分にはわかりません。 何度か触れて…
献上手松山、と言われても 耳なじみはないかも知れません。 自分も、加賀のある古美術商から 教わったことがあるだけです。 画像の盃は献上手松山の例として、 その方が見せて下さいました。 普通の松山との大きな違いは、 クリーム色がかって柔らかみがある…
「パワー」とか「アバンギャルド」といった言葉で 松山窯の魅力を説明しましたが、 むしろ「洒脱」や「洗練」などの表現が似合う上手作も たくさん存在しています。 去年末から今年初めにかけて 石川県九谷焼美術館で開かれた 「九谷松山窯伝世名品展」では…
あえて大胆な想像をするならば、 あの素晴らしい吉田屋後期の青手作品は、 粟生屋源右衛門にとって、必ずしも 理想とするものではなかったかも知れません。 前話で鼠素地のことを書きながら、そんなことを考えました。 初期の素地は、ほとんどが鼠素地だった…
左が徳利、右が小皿の高台部分。典型的な「鼠素地」です。 灰色というか、黒ずんでいるというか、 とにかく純白でないのが一番の特徴。 細かな不純物も多数、素地の中に見られます。 幕末青手の素地が全て灰色というわけでなく、 クリーム色がかった素地もあ…
画像は典型的な花紺青が使われた、松山窯の朝顔文です。 花紺青は、日本で伝統的に使われてきました。 日本画で古くからある色で、京焼でも使われているようです。 ただ、失透性が高いため、 色が淡いだけでなく濁った感じになります。 色釉の透明感が売りの…
(左)吉田屋窯の四彩 (右)松山窯の四彩 九谷焼における青手(四彩)の伝統を 再復興させた松山窯ですが、すでに見てきたように 吉田屋の製品とは作風に違いがあります。 見慣れてくると絵の感じだけでなく、四彩の色調にも 微妙な差があることがわかってきま…
青手古九谷の図柄を写した作品が見られるようになるのも、 松山窯の特徴です。下の画像の鉢はその一例。 ほぼ同じ図柄を描いた古九谷の中皿があります。 第八話でも触れましたが、吉田屋にはこういう、 図柄をそのまま古九谷から引用しているような作品は あ…
松山窯の絵の面白さは、四寸足らずの小皿でも 十分に見て取ることができます。 前話でご紹介した徳利の絵よりは一見、線描は端正ですが、 こんな風景が実際にはあるわけがないことは、 すぐに気付くでしょう。 岩の穴からはみ出してくる牡丹の花も、 羽を閉…
同じ青手でも、松山窯の作風は吉田屋とかなり違います。 特に異なるのが、絵から受ける印象です。 画像は、松山窯の六角徳利の側面です。 山や樹木が描かれる、いわゆる山水図ですがどうでしょうか。 情念。私の場合、浮かぶのはそんな言葉です。 吉田屋の持…
たしかに宮本屋窯でも青手は作られていたと思いますが、 量は限定的だったでしょう。 古九谷以来、百数十年ぶりに吉田屋窯で復興された青手は、 そのままでは再び断絶していたかも知れません。 それを“再復興”し、現代までつづく流れを決定づけたのは、 嘉永…
宮本屋編のエピローグとして。 この小皿の表側だけ見れば、どう考えても八郎手です。 しかし裏返すと、再興九谷ファンには一目瞭然の「小野」銘。 素地も宮本屋とは異なり、これは現在の小松市で焼かれていた 小野窯(1819年~1872年ごろ、文政二年~明治五…
宮本屋は、緑や黄色の補色が使われているものが 上手とされます。 この小皿はそれを証明しているかのようです。 ただしよく見ると、緑や黄色の色釉は溶けきっていません。 一般に、宮本屋作品における補色の発色は 良くないことが多いです。 ガラス質である…
吉田屋とも共通することですが、 宮本屋の高台の際には、よく「カイラギ」が現れます。 高台に掛けた釉薬が縮んで、シワのようになったり、 隅まで掛かり切らずにいる状態です。 陶器の井戸茶碗などでは 見どころとして珍重されたりしますが、 磁器を目指し…
吉田屋の項でも触れた『定本九谷』の 著者・松本佐太郎氏は、 宮本屋窯について意外な評価をしています。 誰もが宮本屋窯の代名詞と考える 飯田屋八郎右衛門の絵付けよりも、 土台となっている素地の方を高く買っているのです。 『八郎手の妙味は私は絵付よ…
わずかな違いが個性と呼ばれ、伝統へとつながります。 左が宮本屋窯の小皿。 右は同時代に赤絵細描を手がけていた 小野窯(石川県小松市)の小皿です。 比べていただきたいのは、「赤」の微妙な違い。 画像では差が伝わりきらないかも知れませんが、 宮本屋…
飯田屋八郎右衛門の魅力は、 前回触れたデザインセンスの良さの他に もう1つあると感じています。 それは、線描にあらわれる独特の味わいです。 左が八郎右衛門の徳利、右が孫弟子にあたる 大正前後の名工・初代中村秋塘の徳利です。 ほぼ同縮尺の両者のア…
九谷焼の解説本で 飯田屋八郎右衛門についての項目を見れば、 たいていこんな風に書いてあります。 “越前気比神宮に伝わる「方氏墨譜」に啓発されて(または、 高尚豊富な画題を得て、など)、赤絵細描を完成させた”。 要は、中国の古い図譜集(いわばイラス…
宮本屋窯の絵付け主任、飯田屋八郎右衛門の存在は大きい。 何しろ宮本屋窯は「飯田屋窯」と呼ばれることがあります。 (吉田屋窯は決して粟生屋窯とも鍋屋窯とも呼ばれません)。 八郎右衛門の赤絵細描スタイルは「八郎手」と 呼ばれるようになりました。 八…
宮本屋の赤絵細描。 吉田屋ではほとんど使わなかった「赤」で、 器表面の大半を埋めつくす。 吉田屋の真逆、と言っていいスタイルです。 同一の窯を使って、ここまでドラスティックな転換が 行われた例は、珍しいのではないでしょうか。 宮本屋宇右衛門は、…
今回から宮本屋窯を扱っていきます。 画像は第九話でも触れた、山代の九谷焼窯跡展示館の覆屋内。 吉田屋の窯跡であるのと同時に、宮本屋の窯跡でもあります。 宮本屋窯は天保三年(1832年)、吉田屋の閉窯の翌年から、 山代の窯をそのまま引き継いでスタート…
終焉から180年。歴史の中で吉田屋の評価は必ずしも安定していませんでした。むしろ、“古九谷の亜流”的な扱いの期間が長かったように思われます。 九谷焼の歴史の底本としてよく使われる、松本佐太郎氏の『定本九谷』(昭和15年)では、古九谷のことは絶賛して…
吉田屋窯のオーナーだった豊田家は、 天保二(1831)年に経営権を番頭の宮本屋宇右衛門に譲り、 窯は「宮本屋窯」に衣替えしました。 製品の生産は途絶えませんでしたが、 絵付けも素地作りも、担い手が交代しました。 新しい絵付け主任、飯田屋八郎右衛門の技…
(古九谷浪漫 華麗なる吉田屋展 2005年 朝日新聞社 p105) この鉢を、所蔵者のご厚意で拝見したことがあります。 貴重なことに同時代の共箱に入っていて、 蓋には「天保二卯年」「九谷焼丼鉢」などの文字があります。 天保二年(1831年)は、まさに吉田屋の“焼き…
吉田屋の裏銘と言えば「角福」。 確かに、ほとんどの吉田屋製品にはこれがあります。 試しに平成14年の「吉田屋名陶展」 (石川県九谷焼美術館)の図録で数えてみたら、 掲載57点中、少なくとも51点は「角福」でした。 (あとは不可読文字や無銘、あるいは 写真…
見れば、語源は一目瞭然。 金魚鉢の中に生えていそうな、葉が長くつながった水草を 思わせることから「金魚藻唐草」。 おそらく吉田屋全作品中、 もっとも多く使われている特有の唐草文様です。 理由は単純に、手早く描けたからでしょう。 古九谷にこんな唐…