第一六五話 ◆ 仮説① 加賀藩の依頼

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初期段階の“奇跡の五色”でしょうか。
まだ泡立ったりして絵具として安定していませんが、
すでに色調はほとんど完成しています。
 
五色は有田でおそらく祥瑞手に続いて開発が始まり、
1650年代前半までに完成しました。
では、開発の「言い出しっぺ」は誰だったのか?
 
もちろん第一に佐賀藩(鍋島家)が考えられます。
完成した色を実際に松ヶ谷作品に用い、
江戸幕府への献上品としています。
しかし古九谷については、五色グループでない祥瑞手を
除いて、鍋島家が活用した形跡は見当たりません。
 
そこで「加賀藩(前田家)が依頼した」と
仮定したらどうでしょうか。
鍋島家(親戚筋です)をきちんと通し、
多額の開発費用を引き受け、その成果(色)は
有田でも自由に利用してよいという条件ならば、
十分あり得るのではないでしょうか。
 
単に出資するだけでなく、温和な中国の五彩と異なる
強い色調を指示し、出来上がったのが“奇跡の五色”。
 
そう考える方が、最上手の色絵古九谷が大名屋敷では
加賀藩、大聖寺藩邸跡からしか出土しないこと や、
古九谷伝世品が加賀周辺に多く伝わったことへの
説明がつきます。
 
明るく穏やかな色彩を展開する伊万里の伝統の中で、
古九谷の強い色が異質であることの謎も解けます。
 
有名な柿右衛門家文書には、正保四(1647)年に初代が
初めて色絵磁器(祥瑞手?)を売った相手が
加賀藩の御買物師だったと記され、バイヤーとしての
存在の大きさが知られています。
 
加賀藩が古九谷生産のパトロンだった可能性は、
荒川正明氏や大橋康二氏など複数の有田側論者も
言及しています。
 
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