2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

第二十四話 ◆ 方氏墨譜の役割

九谷焼の解説本で 飯田屋八郎右衛門についての項目を見れば、 たいていこんな風に書いてあります。 “越前気比神宮に伝わる「方氏墨譜」に啓発されて(または、 高尚豊富な画題を得て、など)、赤絵細描を完成させた”。 要は、中国の古い図譜集(いわばイラス…

第二十三話 ◆ 百年続いた八郎手

宮本屋窯の絵付け主任、飯田屋八郎右衛門の存在は大きい。 何しろ宮本屋窯は「飯田屋窯」と呼ばれることがあります。 (吉田屋窯は決して粟生屋窯とも鍋屋窯とも呼ばれません)。 八郎右衛門の赤絵細描スタイルは「八郎手」と 呼ばれるようになりました。 八…

第二十二話 ◆ 改革の切り札 赤絵細描

宮本屋の赤絵細描。 吉田屋ではほとんど使わなかった「赤」で、 器表面の大半を埋めつくす。 吉田屋の真逆、と言っていいスタイルです。 同一の窯を使って、ここまでドラスティックな転換が 行われた例は、珍しいのではないでしょうか。 宮本屋宇右衛門は、…

第二十一話 ◆ 宮本屋の経営改革

今回から宮本屋窯を扱っていきます。 画像は第九話でも触れた、山代の九谷焼窯跡展示館の覆屋内。 吉田屋の窯跡であるのと同時に、宮本屋の窯跡でもあります。 宮本屋窯は天保三年(1832年)、吉田屋の閉窯の翌年から、 山代の窯をそのまま引き継いでスタート…

第二十話 ◆ 吉田屋の評価

終焉から180年。歴史の中で吉田屋の評価は必ずしも安定していませんでした。むしろ、“古九谷の亜流”的な扱いの期間が長かったように思われます。 九谷焼の歴史の底本としてよく使われる、松本佐太郎氏の『定本九谷』(昭和15年)では、古九谷のことは絶賛して…