第三十七話 ◆ 伝統となった鼠素地
左が徳利、右が小皿の高台部分。典型的な「鼠素地」です。
灰色というか、黒ずんでいるというか、
とにかく純白でないのが一番の特徴。
細かな不純物も多数、素地の中に見られます。
幕末青手の素地が全て灰色というわけでなく、
クリーム色がかった素地もあります。
クリーム色がかった素地もあります。
このタイプにしても、純白でなく
不純物が多いことに変わりありません。
白い素地を使えなかったわけではないと思います。
吉田屋のころと違い、幕末青手の時代には白い素地を作るか、
よそから求めることは可能になっていたはずです。
なぜそうしなかったのか。
吉田屋のころと違い、幕末青手の時代には白い素地を作るか、
よそから求めることは可能になっていたはずです。
なぜそうしなかったのか。
第十四話で吉田屋の素地を紹介した時にも
ちらっと触れたのですが、自分は
粟生屋源右衛門とその弟子筋が、
鼠素地にこだわり続けたのではないかと想像しています。
ちらっと触れたのですが、自分は
粟生屋源右衛門とその弟子筋が、
鼠素地にこだわり続けたのではないかと想像しています。
松山窯はもちろん、同じく青手を作った蓮代寺窯も小野窯も
源右衛門が関わっています。
「青手には鼠素地」。彼が決めたことは、
産地全体の伝統になりえたのではないでしょうか。
源右衛門が関わっています。
「青手には鼠素地」。彼が決めたことは、
産地全体の伝統になりえたのではないでしょうか。
初代徳田八十吉作・吉田屋欽慕 輪花皿 「初代徳田八十吉」2006年 小松市立博物館 p92