第二十話 ◆ 吉田屋の評価
終焉から180年。歴史の中で吉田屋の評価は必ずしも安定していませんでした。むしろ、“古九谷の亜流”的な扱いの期間が長かったように思われます。
九谷焼の歴史の底本としてよく使われる、松本佐太郎氏の『定本九谷』(昭和15年)では、古九谷のことは絶賛していますが、吉田屋に対しては何とも冷たいです。「美的内容に於てはそれほど秀でたものとはいえない」と、ばっさり切り捨てています。
最近でも、ある古伊万里本で、吉田屋が青手古九谷と紛らわしいコピーものだと言わんばかりに「厄介」とか「困りもの」などと書いていて、読んだ時はがっかりしたものです。
吉田屋は、青手古九谷から出発していても「あくまで別物」と認識しないと、その美しさを十分に味わえないと思います。見慣れれば、古九谷と吉田屋を見間違えることなどありません。
幸い近年は、初めての全国巡回展が開かれ、伝右衛門や源右衛門、丈助らの業績にスポットが当てられるなど、吉田屋はようやく正当な評価を獲得しつつあります。
何年か前のことです。何億円もする中国陶磁を数多く扱ってきたことで有名な老舗古美術店の棚に、径10cm足らずの吉田屋の小皿が一枚、置かれていました。
この店の価格レベルからすれば、吹けば飛ぶような小品。しかし店員はこう言ったのです。
「古美術で大切なのは“品(ひん)”。何千万円しても駄品、という物はたくさんあります。この小皿のように品がある品物はなかなか出ません」。
吉田屋には吉田屋の価値があります。
上の画像はその時の、何とも誇らしい小皿です。
上の画像はその時の、何とも誇らしい小皿です。
※(次回から宮本屋窯について考えます)