第一三一話 ◆ 加賀と五彩手
幕末に復活の萌芽は見られるものの、
はっきりと五彩手写しとわかる作品が確認できるのは、
明治に入ったあたりから。
はっきりと五彩手写しとわかる作品が確認できるのは、
明治に入ったあたりから。
かつて複数の論者が「古九谷=幻」論(伝世古九谷は
全て江戸後期以降の作という説)を唱えたのも、
そうした背景があったからかも知れません。
全て江戸後期以降の作という説)を唱えたのも、
そうした背景があったからかも知れません。
しかしそれが誤りであり、典型的な古九谷が
17世紀に存在していたことを示す証拠が、
1980年代に東京のど真ん中で見つかりました。
17世紀に存在していたことを示す証拠が、
1980年代に東京のど真ん中で見つかりました。
「古九谷」 出光美術館 2004年発行 より
出光美術館のこの図録は、加賀や有田の窯跡の陶片なども
あわせて紹介していて、とても役に立ちます。
あわせて紹介していて、とても役に立ちます。
画像の陶片は、1682年の江戸の大火で藩邸が焼けた時に
廃棄されたことがわかっています。
百花手や亀甲文という、五彩手の中でも
最高の作行きの作品が、
1682年以前に確実に作られていたのです。
ちなみに青手も、上手の大皿の陶片が
いっしょに見つかっています。
廃棄されたことがわかっています。
百花手や亀甲文という、五彩手の中でも
最高の作行きの作品が、
1682年以前に確実に作られていたのです。
ちなみに青手も、上手の大皿の陶片が
いっしょに見つかっています。