第一五三話 ◆ 九谷産の色絵

「九谷と有田の両方で古九谷は作りえた」という論は、
特に伊万里論を推進してきた側に、
それを受け付けない人が多いように思えます。
(九谷側でも喜ばない人は多いと思いますが)。
この雰囲気をいつも不思議に思っています。
 
九谷で色絵磁器を作っていたことは認めても、
それはいわゆる伝世古九谷ではなかったと断じる
ケースが多いです。
 
よく引き合いに出されるのが、
東京の大聖寺藩邸跡から出土したこの皿です。
分析によれば素地は九谷産です。
 
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図録「古九谷」 出光美術館 2004年 より
 
たしかに古九谷五彩とは色味が違いますし、
絵の感じも典型的な古九谷風とは言えません。
多くの伊万里論者は、九谷古窯で作られていた
色絵磁器はこういうものだと主張します。
 
その通りだろうと思います。一方で、
九谷からは前話のような色の陶片も出ています。
素直に見るなら「両方のタイプの色絵を作っていた」
のではないでしょうか。
 
九谷古窯は、50年前後(1650年代~1700年ごろ)
稼働したとされているわけですから、複数の
色味、作風の存在は十分ありうると思うのですが。