第九十九話 ◆ 吟秋の五彩研究

五彩手古九谷を復元するべく
釉薬や素地まで突き詰めて研究したのは、
明治初期の竹内吟秋あたりからではないでしょうか。
実際に素晴らしい作品が何点か残されています。

 

イメージ 1
「古九谷を模す展」図録 (平成15年 石川県九谷焼美術館) より

 

この隅切角皿は以前、九谷焼窯跡展示館で
同手の陶片と並べて出展されていたのを
見たことがあります。
陶片は九谷本窯の灰原(灰や失敗作の捨て場)出土と
表示されていました。
吟秋が九谷陶器会社(九谷本窯の後継)の支配人を務めた
明治十年代前後の作と推測できます。

 

高台の雰囲気や成形の鋭さなど、実に見事な素地でした。
そして黄色唐草と花鳥図のうまさは、本歌をしのぐばかり。

 

「古九谷とされる作品の中には、幕末・明治以降の写しが
かなり紛れ込んでいる」とよく言われますが、
さもありなんと思わされる出来映えでした。
吟秋自身それを恐れたのか、陶片の角福銘の脇には
吟秋銘も添えられていました。

 

本歌の古九谷と見分けるポイントがあるとすれば、
一つは絵が上手すぎること。
そして五彩の色調が若干ずつ違うことでしょう。
逆にそのあたりこそが、古九谷の神髄なのかも知れません。