第一一四話 ◆ 洋画家たちの九谷
特に名高いのが、
日展理事や日本芸術院会員などを歴任した
中村研一(明治28~昭和42年 1895~1967)と、
渡仏経験を持ち、アンリ・マティスとも親交の厚かった
硲伊之助(明治28~昭和52年 1895~1977)です。
日展理事や日本芸術院会員などを歴任した
中村研一(明治28~昭和42年 1895~1967)と、
渡仏経験を持ち、アンリ・マティスとも親交の厚かった
硲伊之助(明治28~昭和52年 1895~1977)です。
(石川県立美術館ウェブサイト)
2人とも戦後、古九谷の色彩に惹かれ、
初代徳田八十吉の窯を訪ねて、
絵付けの手ほどきを受けています。
初代徳田八十吉の窯を訪ねて、
絵付けの手ほどきを受けています。
中村研一は、八十吉窯で色絵の大皿を多数制作。
画家ならではの新鮮で大胆な構図が、
八十吉の色釉で表現されています。
彼の絵付けを見た八十吉は
「古九谷よりうまい絵描きがおる」と
感嘆したと言います。
画家ならではの新鮮で大胆な構図が、
八十吉の色釉で表現されています。
彼の絵付けを見た八十吉は
「古九谷よりうまい絵描きがおる」と
感嘆したと言います。
硲伊之助は東京から加賀市に移住し、
硲三彩亭という名で活動の中心を九谷焼に移してしまうほど、
九谷の色と芸術性にほれこみました。
死後は同地に硲伊之助美術館が建てられ、
弟子たちが活動を続けています。
硲三彩亭という名で活動の中心を九谷焼に移してしまうほど、
九谷の色と芸術性にほれこみました。
死後は同地に硲伊之助美術館が建てられ、
弟子たちが活動を続けています。