第六十七話 ◆ 斉田道開 もう一つの赤絵細描

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(画像は寺井町九谷焼資料館発行「九谷350年展」図録)

幕末から明治ぐらいの九谷焼で、骨董市でよく見かけるのが、
“竹林の賢人”や“百老手”などを描いた赤絵細描の製品です。
徳利などの実用品が多いと思います。

赤絵細描と言っても、宮本屋窯とは系統が違います。
今の能美市佐野町に窯を開いた陶工、
斉田道開(1796年~1868年)が始めた作風です。

斉田道開は数多い若杉窯出身者のひとりで、
宮本屋窯とは直接つながっていません。
その作風も、全くの別物と考えていいでしょう。

一番の違いは、絵付けにおける図柄(人物や龍など)の
位置づけではないでしょうか。
宮本屋(八郎手)は「主=文様構成、従=図柄」の
かっちりした絵付けが多いですが、
斉田道開はその逆で、
図柄が主役になっているように思えます。

おめでたい図柄が前面に打ち出された道開の作風は、
わかりやすく親しみやすい製品作りに寄与したと
言えるでしょう。
彼の指導で今の能美市近隣では、
九谷焼の絵付けが農家の冬の副業となり、
量産品の一大産地として発展しました。

斉田道開は産地の礎を築いた重要人物として、死後に
陶祖神社(能美市佐野町)にまつられ、
庄三同様に功績を称えられています。